頑張るということ。  

先日、“頑張る”ということについて
考える機会をいただきましたので
ここで皆さんにシェアさせていただきます。

目標に向かって頑張る、一生懸命に頑張る
…尊いことだと思います。

自分のカラダやココロを
最大限に活かして頑張るのは素敵なことだと思います。

でも、その頑張りにもバランスが大事…と思うのです。
その頑張りは、適度を越えていませんか?と。
適度なんて言ってたら、それは“頑張り”では無いのでは?
って、反論を受けるかもしれませんが…。

自分自身のカラダやココロを削って
だんだんと生気を失って
カラダもアタマもココロもどんどん固くなっていくのを
見て見ぬフリをしながら
(その時にはそうしてまで頑張ることが
絶対で、必要で、そうするしかないと
思えたりしますよね…)
頑張り続けてしまう。

私もずいぶんと昔になりますが
そんな頑張り方をしてしまっていた頃がありました。

頑張っていたこと自体は
自分の目標としていたものを上回るくらい達成できました。

でも、その頃にはすっかり私は
自分のカラダとココロのバランスを崩してしまい
身近な家族には毒を吐き
自分自身のカラダとココロにも大きなダメージを残し
その後、ずいぶん長い間
そのツケを払うことになりました。

ちなみに、そのときにそんな思いまでして
達成した成果は、今の自分に特別なものとしては
ほとんど何も残っていません。

達成して得たものよりも
眼には見えない失ったものの方が
よほど大きかったと、今ではハッキリわかります。

自分のカラダやココロ…魂を削ってまで頑張ることは
実際に前に進んでいるように見えても
それは本当の意味では前に進んでいるのでは無いと思います。

もし、それで目標に向かって前進できてるかのように見えたとしても
引き換えにどんどん自分の中の何かや
自分の大事にしているものが削れていってるならば
もし、その目標を達成出来ても
そこからどんな幸せを受け取ることが出来るのでしょう。

適度な頑張りは、頑張った分だけ
自分がしなやかに、ココロもカラダもやわらかく、あたたかく
そして、強くなっていくものだと思います。

度を超した頑張りは、頑張れば頑張るほど
ココロもカラダもアタマも固く
そして、冷たくなっていくものだと思います。
(筋肉のトレーニングとかとも似てるかもしれませんね。)

もし、今、とても何かを頑張っていて
でも、どこか、なにかオカシイと感じている方がいらっしゃったら

その頑張りは自分を
やわらかく、あたたかくしていっているか
固く、冷たくしていっているか
その頑張りを“やめる”ということを選択するエネルギーさえ残らなくなってしまう前に
少し立ち止まって見てみられてはいかがでしょうか。

もし、固く、冷たくなってきていると感じたならば
目標のためではなく、
自分自身のために、今、自分に何が出来るのかを
考えてあげてみてはいかがでしょうか。

そんなこと、逃げだ!とか
そんなに甘いことではいけないのでは?とか思えることでも
そのときの自分が“本音では”そうしたいと望んでいるのであれば、
そうしてあげることで、少しでも自分がやわらかく、
あたたかくなれるように感じることであれば、
そうしてあげることもいいかもしれません。

ついムキになってしまって
がむしゃらになりがちな
(でも、最近はそんなに頑張れるスタミナも無くなってきましたが。苦笑)
自分自身にも、しばしば、チェックするように
そういうことを問うたりしています。

# by kco1111 | 2009-10-07 00:08 | Trackback | Comments(1)

泳がせる。  

先日、あるセッションの中で
改めて思ったことがあったのでシェアさせていただきます。

“どうにも、自分の気持ちがハッキリしない。”

という時って、ありますよね。

例えば、

“今、会社を辞めていいものか、というか
自分は会社を本当に辞めたいと思っているのかどうか…”

“彼と本当にこのまま付き合っていていいのか。
一緒に居ても、お互いにあまりいいことはないと感じてる。
でも、別れて独りになるのは寂しいとも思っている…”

そんな時に、結構ハマリがちなのが

私って、なんて意志が弱いんだろう。
勇気が無いんだろう。
一歩を踏み出さないと何も始まらないって解ってるのに
怖くてそれが出来ない。
私って根性無し…。

などなど、自分自身を責めるような
そんな感覚。

この感覚が自分を覆うようになってくると
自分の気持ちがハッキリしないことそのもの
(問題になっている事項)よりも
だんだんと、この自分自身のハッキリしなさ加減に
嫌気がさしてきたりして
自分自身との関係がだんだんとイヤ〜なムードになってくる…
そのことの方が大きな問題になってくるように思うのです。

そうやって、自分自身との関係が
ギクシャクしてくると、また更に一層
ハッキリしないものがどんどん見えなくなってくる。

決めなきゃ、決めなきゃ、ハッキリさせなきゃ…
焦れば焦るほど
見えなくなる。

私はそういう状況の時に
コトバにして自分に言い聞かせるようにしています。

“泳がせよう!”

私は元来、せっかちで
おまけに白黒ハッキリさせないと気持ちが悪いタチ。

なので、よく上に書いたような悪循環に陥っていました。

でも、いつからか
(きっと、いろんな方々からのアドバイスや
先輩の悩みの越え方などを参考に、じょじょに
そういう方法にたどり着いたのだと思います。)

“今は、迷っているのでも、悩んでるのでもない。
そう、今は自分の気持ちが本当はどっちに行きたいのか
自由に動いていいよと見守っている時期。
自分の気持ちを自由に泳がせてみている時期。”

と、捉えるようになりました。

そう思えるようになると

“ああ、すぐにどっちに決めなくてもいいのね。
そして、それは悪いことではないのね。”

と、自分自身がリラックスして
自分の本音を自分自身でキャッチしやすくなり
結果的にはスムーズに本当に納得のいく選択が
出来るようになってきたと思います。

ちなみに、今も
“泳がせている”こと、あります。

さあ、自分の気持ちはどっちに動いていくのかしらん…。

と、少し離れたところで
ニヤニヤしながら見ている

そんな感じです。

# by kco1111 | 2009-09-25 23:57 | Trackback | Comments(4)

言葉のチカラ。  

言葉というものは
本当に大きなチカラを持っているということは
きっと、皆さん、実感されたことがあられると思います。

私も、よく、そう感じます。

言葉を使ってお仕事もさせていただいていますので
本当に、よく、そう感じます。

コミュニケーションのツールとしての言葉も
大きなチカラを持っていますが
(…だからこそ自分の発したこと言葉が
相手を傷つけて“言い過ぎた”と後悔したり
想いを込めた言葉が相手に届いて
大きな喜びを感じたり…)

自分の中で日々繰り返される
自分との対話や独り言で使われる言葉のチカラも
とても大きいものだと思います。

自分との対話?
そんなのしてないヨ?
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが
大げさなものでなくても
例えば、カフェのメニューを一人で見ながら
“アイスコーヒーにしようっかな…でも、最近、
冷たいもの飲み過ぎだし…あったかいものにしておこうか!”
というレベルのものも含めて対話と思っていただいて…。

最近、この、自分の中だけで使われる言葉
というものがそれぞれの人の幸せに
思っているよりも大きな影響を与えているのではないか
と、そんなことを感じています。

誰かとの会話の中で
自分が使う言葉によって
それを聴いた相手の人が
自分に対する思いや印象を作っていくものだと思います。

例えば
“私なんて”とか“どうせ”とかという言葉を
頻繁に使う人を前にして
それを聴いている人は
“ああ、この人は自信の無い人なんだな”とか
“なんだか楽しくなさそう”
などの印象や思いを抱くと思います。

それと同じように
自分の中で発せられる言葉は
自分自身が聴いていて
自分に対してその発せられた言葉から
自分に対する印象や思いを築いていくと思うのです。

例えば、そんなには感じていなくてもついつい無意識に
“あ〜、面倒くさい”
って心の中でつぶやくのがクセのようになっていたとしたら
それを逃すこと無く毎回聴いている自分は、聴くたびに
“あ、この人(自分自身)はまた面倒臭がっている。
余程の面倒臭がりなんだな。”
と、実際よりも、より深く“面倒臭がり”の刻印を
自分自身に押していく。

そして、深いところでその刻印を押された自分は
ある意味、自分からの暗示にかかっているような状態で
本当に、ますます、面倒臭がりの性格が強まっていく。

そんなことが起きているように感じるのです。

ですので、自分の中でついつい発している言葉にも
いえ、自分の中でついつい発している言葉こそ
よーーーくチェックして
使わない方がいいなと思うものは封印して行く方がいいなと
思っています。

ちなみに、私が自分をチェックしてみたところ
封印しようと思った言葉の内のひとつは…

ちょっとした失敗やミスなのに
“ああっ、サイテー!”
と、つい言っている。

これでは、ことあるごとに
自分は最低の状況に居る、
もしくは、自分は最低な存在だ
なんてことをコツコツと自分自身に刻印しているようなもの…。(汗)

誰かに発してるワケでも
本気で落ち込みながら言ってるワケでも無いのですが
言葉のチカラは平等に働くので
本当に要注意です!

今度からはそういうシチュエーションには
“ああっ!……でも、大丈夫。”
で、いこうかと思っています。

皆さんは、ご自身の中で
いつも使ってしまうフレーズなどおありですか?

# by kco1111 | 2009-08-27 19:02 | Trackback | Comments(3)

最近、ちょっと考えていたこと。  

もしかしたら
いろいろな考えや思い、感情など
すべて自分自身のものだと思って過ごしてきたけれど
もしかしたら、このちょっとした思いつきや感情の動きなんかも
実は大きな大きな計画の一環であって
純粋には自分自身のものでは無いのかもしれない

なんてことを、最近感じることがあります。

私がここで書く“大きな大きな流れ”というものは
私の中のイメージでは
“この世のすべての存在が繋がっていると前提して、
その全体のバランスを取りながらも、
それぞれの存在を最大限に活かす方向への流れ”
という、そんな感じです。

大きな流れはそれぞれを最大限に活かそうとして
それぞれの個々にそうなるべく信号を送る

その信号の個々への届き方は

“なんとなく、あれ食べたい” とか
“フと、あそこに行きたくなった” とか
“ああ、急にイライラしてきた!” とか
“この歌を聴くと自然と嬉しくなるのよ〜” とか
“私は小さい頃から絶対に不正は嫌いだ” とか
“あの俳優さんのことが好きで仕方ない” とか
“私、隣の課の〜さんってニガテ” とか
“母が看護婦だったので私も看護士の道を選びたい” とか
“ダイエットで腰回りをもう少し細くしたい” とか、とか…

すべての方面における
すべての方向性の欲求、思考、感情を動かす
というカタチでやってくるのではないかと思うのです。

だから、
そういう、自分自身の中にわき起こるものや
自分がそう思ったり、考えて出した選択などは

“ワガママ”でも“単なる思いつき”でも“意味の無い衝動”でも
“妄想”でも“単なる意地”などなど…ではなく
とても尊く、貴重なもの
ではないかと。

それら自分の中から出て来たように感じるものへの
否定、疑い、罪悪感などは
大きな流れ、すべての繋がりの輪から
離れていってしまわせるものではないかと。

だから、自分の中から出てくるものは
どんなにしょうもないと感じたり
なんかイヤだな…と感じたりするものも含めて
自分の中にそれらがあることを安心して受け入れていたら
それだけでO.K.なのかな…と思います。

いい意味で
“自分ごときが
そう簡単に大きな流れから外れるようなチカラは持ってない。”
そんな風に思えば、なんだか逆に
安心して自由になれるような気がします。

# by kco1111 | 2009-06-26 20:26 | フと思ったこと | Trackback | Comments(3)

催眠セッションの詳細。  

新たに催眠を取り入れたセッションを
始めさせてもらうにあたり、これを機会にと
もう一度、自分のセッションについて
いろいろ考えをまとめておりました。

セッション全般の方針も
改めて、またハッキリしてきました。

『エネルギーをかけたいのは

過去の問題ではなく
“今”と“これから”

自分自身の問題と感じる部分を
改善したり変えたりすることではなく
それらをそのまま受け入れて
どう幸せにやっていくか』


“今の自分に影響を及ぼしている
過去における問題に向き合って
そこをきちんとメンテナンスしないことには
今出て来ている問題は根本解決はしない”

“自分の根本にある問題に向き合ってこそ
本当の幸せをつかめる”

という考え方はモチロン間違っていないと思いますし
私自身もその考え方のもとに
かなり長い年月、そして、相当のエネルギーをかけて
真剣に取り組んできたと思っています。

そして、セッションの中でも
その部分は大事に扱ってきたと思っています。

これからも、その部分を無視したり
無いことにするということはありません。

ただ、過去の問題や自分の根本にある問題に
こだわりすぎたり、固執しすぎて
今やこれからのことをクリエイトしていくよりも
そこにエネルギーをかけすぎてしまわないように
できるだけ“今”と“これから”に光をあてていく…
これまで以上にそういうセッションにしていきたいと考えています。

そうはわかっていても
通常のセッションだけでは
どうしても越えにくいという過去の問題や
自分の根本にある問題の部分を
より速やかに“消化(昇華)”または“受け入れ”
または“卒業”していただくのに
催眠のセッションを使わせていただこうと考えています。

『催眠のセッションは
“今”と“これから”のクリエイティブに
よりエネルギーをかけていただくために☆』

こう、考えています。

ですので、基本的には
催眠のセッションは単独ではなく
最低でも3回セットのセッションとさせていただきます。
(これまでにセッションを受けていただいている方については
進め方をアレンジさせていただく場合があります。)
以下は催眠セッションの詳細です。

****************************

1回目
催眠でどのような問題に取り組むか
を一緒に考えていくセッション
(約60分 4000円)

2回目
実際の催眠セッション
(約120分 13000円)

3回目
催眠中に体験したことによって感じたこと考えたことを
“今”と“これから”を活かしていくメッセージ(ギフト)として
受け取っていただくためのセッション
(約90分 7000円)

☆1回目と2回目は同じ日に設定していただくことも可能です。
3回目は2回目から約1、2週間後に設定させていただくのが
理想的です。

☆場所
2回目の催眠のセッションにつきましては
京都四条烏丸近くのサロン もしくは
滋賀県のJR瀬田(京都より約30分)のサロン
にてさせていただきます。

どちらも個室でプライバシーがきちんと守られ
安心して催眠に入っていただける空間です。

*****************************

通常のセッションもこれまで以上に
“今”と“これから”を輝かせるような
そんなセッションにしていきたいと思っております!

これからも、どうぞ
よろしくお願いします☆

# by kco1111 | 2009-05-22 19:14 | 催眠セッション | Trackback | Comments(5)

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